現実はいつも自分の鏡
誰かに対して、
〇〇なところが許せないとか、
〇〇な態度・行動・言い方が気に入らないとか、
そういうのってみんな誰でもよくあると思う。
社会の中で、人や社会と接して生きてる以上、人との関わりの中で少なからず摩擦は生じると思う。
でも、
自分の目に映ったその嫌いな人も、実は自分の鏡なのである。
例えば、
私(筆者)は昔から、自分の信念以外の意見・価値観は一切信じない、聞き入れてくれない、独裁的・ワンマン・頑固な人が苦手で嫌いだった。
他にも、すぐ感情的になる人やわがままな人なども、子供の時から恥ずかしい人などと批判的に見ていたし、大人になってからもかなり大人げない・迷惑な人とか思っていた。
でもこれらは全て自分の写し鏡だったとある時に知った。
何故、自分はそのような人を見るとイラっとしたり、自分だったら絶対にそんな事しないのにとか思ったりするのだろうか?
私は、人はみんな誰も価値観もそれぞれ違う事も分かってるから私自身はいろんな人の意見や価値観を尊重したいしいつでも誰もが好きな信念を自由に生きるのがベストと意識して生きていた。
私はそう意識していた。
意識しているということは、もし意識しなかったらそうではない思考、行動になってしまうということ。
無意識状態の私は、私自身の良いと感じた信念以外は一切聞き入れない・受け付けない頑固な(良い意味でいうと自分軸がしっかりしてる)面を持ってるということになる。
そういう自分自身を意識的に抑制・コントロールしている。
だから、自分が抑制している無意識状態の自分が投影された人を見ると、許せない気持ちが沸き起こり、批判・ジャッジしたくなるのだろう。
すぐ感情的になったりやわがままな人も同じだ。
私は物心ついた頃から、すぐ泣いたり怒ったりする度に親に怒られたことがあったと思う。
特に人前などでは絶対に恥ずかしい事だ的な風に怒られたと思う。
第一子の長女だったこともあり、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいとか、しっかりしなさい、良いお手本になりなさい的なセリフを毎回言われたりしてあの妙なプレッシャーや責任感みたいなのがめちゃくちゃ嫌だったけど自然に言われた通りにやってたと思う。
自分だってこんな時は本当はめちゃくちゃ泣きたいし、怒り散らしたい、本音のままに行動言動したい。
でもそんな自分勝手な態度言動行動をとったら周りの人を困らせるだけだしそれは良くない事。
物心ついた頃からこういう思いを自分の奥底に押しやっていてそれはもう無意識レベルのものになっていたようだ。
無意識の私、
私の内面の奥底には感情的で超わがままな自分がいるのだ。
だから私の外側にそのような人が現れると気に入らない感情が出てくる。
「私は我慢してるのに、あの人はあんなに自由に自分の本音のままに生きて狡い」というような思いが苛立ちや憤り・不快感のような形で沸き起こるのだろう。
この内面の投影・鏡説は批判・ジャッジしたくなる対象パターンだけではない。
羨ましく感じる人や惹かれる人や対象なども全て同じようだ。
羨ましく感じるという事は、
自分の中にその要素・同じ周波数が既にあるという事。
自分にその要素・周波数があるから同じ要素・周波数がある人に惹かれるし羨ましくなる。
自分はその時羨ましく感じる人とかかけ離れているとしても、自分の中にはその人と同じ要素・周波数があるからそのまま周波数をどんどん近づけていけば未来には自分も同じようになっているという事。
景色を見て、「美しいな」と感じたとしたら、
それは自分の中に「美しい」があるという事。
現実の中で、「怖い」と感じたら、
自分の中に「恐怖」があるという事。
同じ現実でも人により感じ方はバラバラです。
自分が不快だと思う事は、自分の内面のその不快な周波数を手放すと、投影する周波数が無いのでそれ以降現実に現れなくなってくる。
という話は並木良和さんの話などでも何度も耳にしますよね。
改めて自己統合していこうと感じました。
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