『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 』(Logicomix: An Epic Search for Truth)感想(⚠︎ネタバレ有り)
このグラフィックノベルを読もうと思ったきっかけは、本当にかなりの偶然の事だった。
偶々Googleで画像検索していた時にこの書籍の画像がヒットしてきて、絵柄とカラフルさと色調と構図などなどの素晴らしさに一目惚れしてすぐに調べた。
正直内容は個人的には全く興味なさそうだったけどとにかく絵が見たくて、なんとか古本でゲットできた。(翻訳版は2015年発行らしく自分が調べた時は新書がなかなか見つけられなかった)
1.ロジ・コミックス漫画感想
内容はさておき😅、絵的には、フルカラーの贅沢な漫画が300ページくらいぎっしりで筆者的にはとても良かった!!!
特に1章は色々な面で一番良かった!!!
1章は主人公が十代辺りまでの内容というのもあって、そこまで難しい専門用語も登場してこなく数学とか哲学とかそういう難しいジャンルが一切入ってこない脳みその自分でも読みやすい内容な上に、主人公の精神面や住環境の描写が多く、全体的な色合いや表現、構図などもどこかホラーでミステリアスで謎めいた雰囲気に仕上がっていて凄く好きな感じだった。
この幼少期に主人公(ラッセル)が感じた現実世界の謎や不可解さや不条理な想い、両親が居ない寂しさ、人の恐ろしい面など数々のトラウマが起源となって真実探究にハマり、いつしか数学・哲学・論理学者という専門家になっていったという人生とのことだそうなので、この幼少期、十代に受けた理不尽さやトラウマ描写のインパクトはやはりストーリー的にも重要なのだろう。
作画・カラー担当のAlecos PapadatosさんとAnnie Di Donnaさんの詳細を見たらもの凄いキャリアの方々と知り、あの素晴らしいクオリティとセンスに超納得しました。
作者達自身が出演されてるロジ・コミックスの紹介動画もあった。
2.ロジ・コミックス本編感想
ここからは内容についての感想になるのですが、
詳しい内容のあらすじは『ロジ・コミックス』wikipediaをご参照下さい。(丸投げかい)
まず初めに、自分は学生の頃から数学が教科の中で今思うと多分一番嫌いな教科で、どう対策しても解けない限りは点数が取れないという致命的な教科だった。
体育も苦手だったけど、自分にとって数学は頭の体育みたいなかんじで脳が物理的に解けない・理解出来ないんだから出来ないし分からない、そしてそのまま大人になる、みたいな。
小学校の算数、あの段階まではまだ嫌いじゃなかった。
多分中学から教わる数学になって、ある領域辺りから脳が限界に達してしまい拒否反応すら感じるようになっていった。
その代表がズバリ証明問題だったと思う。
あの辺りから数学という教科に対して心の底から不信感と憤りを感じ始めた気がする。
自分がそれまで思っていた、数学というものは単純に数を計算してスッキリ解ければ完了、みたいな単純なイメージが急に変貌してきたからだった。
多分上記の考えは“算数”に該当するのかもしれない。
図形問題も苦手だった。
幾何学という分野なのかもしれない。
物理も超苦手だった。
だから高校の時は迷わず文系を選択した。
空間、時間、速度、重量とかそういう3次元領域の目に見えないものを式で表す以前に自分の頭がそういう問題の状況のイメージを全く思い描けなくて、理解出来ないままただ公式を丸暗記するくらいしか出来なかった。
こういうジャンルの教科をすぐに理解出来て応用問題もスラスラ解ける人達は自分とは全く違う人種なのだろうとか思っていた。
数学に対してそんな苦手意識があったので、このグラフィックノベルを購入するのは少し躊躇した。
もし学習系漫画だったらかなりしんどいなと思っていたが、書籍で作者が書かれているように全く学習系でもないし、登場人物達が数学や哲学など難しい専門用語をセリフで語ったり解説するなどの描写もほとんどなかった。(最後に用語や人物解説ページがある)
そういうのを期待していた人はガッカリかもしれないが、自分はそういう漫画じゃないからこそ安心して読めた。
あくまでバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)を主人公とした彼の人生がストーリーのグラフィックノベルだった。
苦手意識があった数学系の分野の偉人達が登場するこのグラフィックノベルを読んで発見出来た事があった。
先述したように自分が中学生の時から苦手と感じていた数学の証明問題は論理学とか哲学の分野から来てるのだろうという事が知れた。
答えが真実かどうか根拠を順序立てて理論整然に論理的に明らかにしようとして生まれたのが“証明”だったのだと。
初めて証明を教わった時、数学なのに数字やアルファベットや記号の式以外に文章も交えるのか?!と衝撃だったのが、こういう数学問題が出来上がった学問の起源・始祖となる人物達の事を知れてなんか納得できた。
また偉人達もそれぞれ考えや意見が違うようで、数学と哲学と論理学は分離した学問だと認識していたのにそれをミックスさせたり数学から論理が成り立つとかその逆とかまたは論理学は数学と哲学の境界に存在するものとか、人によっていろんな価値観で提示されていて訳分からんくなる。
これを読んでいて中学の時の理科の先生がよく言ってた言葉を思い出した。
「論理的思考が大切。全ての事、当たり前な事も何でも全て一旦疑って自分で考えてみる。そうすると何でもどんどん面白くなるよ」
みたいな事を中一の頃に聞いた時、論理的思考って何???ってかんじでサッパリ分からなかったが、この本を読むとあの頃の先生の言ってた事が凄くよく理解できた気がする。
“全てを一旦疑って自分で考える”という言葉はあの頃心に刻まれて今でもそれは確かに大切な事だと思っている。
そして論理学と哲学と数学がこんなに密接に関係していた事も初めて知った。
それまで勝手なイメージとしては論理学とか哲学って文系ジャンルなんだろうと思っていた。
でも改めて考えると、例えばこういうBlogの記事の書き方であっても、SEO的にWEB上の検索にヒットしやすいと言われているような書き方って思えば“証明”の論理的な書き方と構文ベースが一緒って感じたし、確かに読みやすさも説得力もある。
AIが文章を生成した時も上記と全く同じ構文構造に仕上がってると思う。
そういうガッツリ論理的な文章は隙がなくある意味綺麗すぎて無機質なところが人間味を感じないとも思えるがそういうものがネット上では優勢なコンテンツと見なされるらしい。
それは何故ならネットもAIもそのプログラミング自体が数学や論理学、哲学の要素で成り立っているからという事。
数学ってこんなに身近にあったのか…😨
自分は未だにどこかPCとか機械系に苦手意識があったり、昔WEBデザインも勉強したけどプログラミングが苦手すぎて挫折したり、グラフィックソフトも未だになんか慣れないと感じているのはどこか数学的な要素を感じているせいかと改めて思い知った。
3.ロジ・コミックス本編感想:天才学者達が病みがちな原因考察
作者はテーマとして狂気と探究について描きたいという事が書かれていた。
19〜20世紀の数学・哲学・論理学の歴史的偉人達は優秀な功績の裏でみんなどこか人間的にネガティブな側面を持っているとかそういう親族がいるとか狂人になっていったり悲惨な人生の末路に至っているという共通点があるとの事で、このような天才学者達と狂気についての関連性を考察しているようだった。
このグラフィックノベルにはたくさんの歴史的偉人達が登場してきて、自分はこの本を読むまで全く知らなかった初見の人物達ばかりだったので、好奇心から一人一人調べながら読んだりしていて、本編の漫画のビジュアルと実際の画像とを見比べたり出来て面白かった。
登場する偉人達みんなそれぞれ凄く個性的で興味深いと思ったし、自分が個人的に感じたのは、数学とか哲学・論理学の分野にハマっていった偉人達はラッセルを筆頭に根源的な意図は多分みんな純粋にこの世の真実探究なんだろうという事。
登場人物の中で特にそう感じたのは、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)。
彼のぶっ飛んでる振り切りまくった真っ直ぐな生き方やエピソードが面白いなと思いながらも凄すぎて感動した。
Wikipediaを見ると常に鬱や自殺衝動と戦っていたとあったし、おそらく自分がこの世で生きている意味を確認したいとかそういう想いが多分無意識なのか根底にあったのだろうと感じた。
本編の中にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead)の息子エリックも第一次世界大戦で空軍に志願した動機をラッセルに語るシーンがあって、その内容がウィトゲンシュタインのとほぼ同じ理由だった。(本編の内容は厳密に実際のエピソードや人物対面などの状況を史実に則って描かれているわけではなく作者のフィクションで描かれている部分もあるらしいとの事なのでこのシーンやセリフが事実かどうかは分からない)
愛国心とかそういうのではなく、日々ただ本を読んだり解いたり知識の世界だけで考察したり研究したり悟ってるだけではなく、生身の人間として物理的にこの世界で生きているという実感、体感、経験をしてみたいという想いからだった。
この2人の戦争シーン辺りがこの本書で個人的に一番エモかった。。。
特にエリックは幼少期からラッセルと出会い、子供が欲しかったラッセルがエリックを家族のように愛情を持って接していたシーンが何度か登場していたので、あれも全部フラグだったのか…とかなり切なかった。
ウィトゲンシュタインはこの大戦で生死の極限を経験した事で『論理哲学論考』という著書を完成させ、「哲学の諸問題全てを完全に解いた、思考や言語の限界を書き切った」と語っていた。
「真に世界の意味を理解するには科学的事実を全てかき集めても足りない。世界の外に出なければ分からない。真の問題は思考や言語の限界を超えたところにある」それが“語りえぬもの”らしい。
『論理哲学論考』の最後の章に「語りえぬものについては、ひとは沈黙に任せるほかない」と記述されている。
この段階でウィトゲンシュタインはそれまで恩師と慕っていたであろう論理学者のラッセルに対して論理は実質的には何も証明出来ていない空虚で無意味でただのトートロジーにすぎないと語りラッセルとは相反する思想になっていた。
そして別の職業経験を得て再度哲学に戻ってきた時の後期ウィトゲンシュタインの思想や見解についてラッセルは神秘主義者になったと捉えたとの事。
この神秘主義という言葉の意味がいまいち正確には把握出来ていないが、自分が思うのはおそらく当時的には宗教的思想とかそういう系の事を指すのかな?と、今の時代だとそれこそスピリチュアル思想の事のように思える。
宗教とスピリチュアルは多分同じ意味のように捉えられて同じジャンルに扱われているのかもしれないが実質的には違って宗教はスピリチュアルを基に人間がビジネスや洗脳ツールとして人工的に作って内容も改竄されていたりするものだと認識している。
スピリチュアルはこの世界の本質・宇宙の叡智の事を指してして、それこそウィトゲンシュタインが求めていた究極の真実“語りえぬもの”の領域の事だろうと感じた。
「語りえぬものについては、ひとは沈黙に任せるほかない」という最後の命題、自分はこの文章はスピリチュアルな意味合いの事を言ってるのだと感じたが、ウィーン学団やその他天才学者達は論理的に語りえぬものなんて思考に値しない文字通りナンセンスって意味だと解釈したらしい。
ウィトゲンシュタインは“語りえぬもの”こそ真に重要なものだと語っていた。
数学や哲学など常に論理的思考で頭をフル回転させて現実に傾倒し過ぎると、頭と心が分離しきってしまい人間や自然全てが本来魂の存在だという本質、スピリチュアル的な本来の感覚が鈍ってくるというか理解出来なくなるのかもしれない。
このグラフィックノベルのテーマにある天才学者達の真実探究と狂気的になる傾向の人物が多いという謎も自分はこれなのでは?と感じた。
脳だけで真実を探究しようと左脳を使いすぎてしまってバランスがおかしくなり、人間として精神がどこかしら崩壊している状態に陥ってしまったのかもしれない。
なにしろ哲学は人間が作った学問との事。
(偶々最近観た動画でサアラさんが語られていた参照動画)
また、天才学者達の幼少期からの経歴情報を見てるとほぼ全員今で言う精神障害や発達障害(ADHDとかASDなど)と一見ネガティブなものかと思われる疾患に該当しているように思える。
しかしこれらの疾患は「天才病」とも呼ばれており、歴史上の偉人や成功者の中にはかなり多いとの事らしいので、まさにこのグラフィックノベルに登場する天才学者達のことを指しているように思えた。
しかしこの宇宙、この世界は全て数学で表現できるという事で(『地球少女アルジュナ』で観た数学の先生が語るシーンが凄く印象的だった)、目視出来る形式に合わせるなら数字や数式こそが宇宙の共通文字になるのかもしれない。
だから数学を研究し現在の文明の発展を創ってくれた伝説の数学者達はみんな本能的に究極に深い宇宙の真髄を探究していた方達なのだと、改めて凄く尊いと思った。
そして、こんな理数系の偉人達が登場する漫画なのにまさかスピリチュアルな話に繋がるとは思わなかった。
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