絵には魂が宿っている?
2月25日に見た夢。
起き掛けに多分夢からのメッセージ?が明確に文章化されて頭の中にあった。
“絵には魂が宿ってる”
多分AIの描いたものではなく人が手描きしたものに限ってを意味すると思う。
思い当たるものとして、自分が人物キャラの絵を描いた時、わりと雑に描いても気持ちだけで意外と目線がちゃんとそのキャラが見ている方に視線が自然に定まって描けていたりする。
人体の構造や筋肉の知識とか人物画の描き方テクニックとかそのような詳しい事もまだ全く何の知識も無く、ゆるく絵を描く授業の際に画材を少し使うくらいの美術経験しかないような人物デッサンやスケッチの正式な知識も経験も何も無かった幼い頃から趣味でひたすら落書きしていたキャラクター達の特に目に、リアルな人間的な命のようなものが宿っているように感じる時があった。
昔から描いてる時はとにかく気持ちと感情だけで描いていた。
そのキャラの感情、気持ちになりきって、込めて込めて込めまくって描くだけ。
こんな風に感じてるのは描いた本人だけなのかもしれないが。。。
さらに魂が入るのは人物やキャラクターだけじゃないといえる。
小学生の頃「ちびまる子ちゃん」の単行本を収集していて、うろ覚えだが確か10巻以降のコミックス表紙に不思議な雰囲気のデザイン模様の中央にまるちゃんが描かれているというような表紙が何冊かあったと思う。
実際何かパワーを感じたのか?何かラッキーな事でも起きたのか?当時の事はそこまで覚えてないし分からないが、そういう風にプラスにもマイナスにも絵には何かエネルギー?周波数?のようなものを込められるのだろうと思っている。
そういう用途で昔から使われていた…?
“絵には魂が宿ってる”
みたいな感じだった。
多分AIの描いたものではなく人が手描きしたものに限ってを意味すると思う。
実はこの事はずっと前から感じていた事だった。
思い当たるものとして、自分が人物キャラの絵を描いた時、わりと雑に描いても気持ちだけで意外と目線がちゃんとそのキャラが見ている方に視線が自然に定まって描けていたりする。
そこらへんは昔から不思議に思ってた。
例えば⇩のような荒いネーム段階でも自分的には視線の方向だけは上手く定まっているように思えるのだが…どうだろう…(こんな雑なヤツ出されてもなぁ…(ー ー;))
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©2019 わたしの中にいる天使と悪魔 P39 hook |
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©2019 わたしの中にいる天使と悪魔 P44 hook |
(上記の漫画は一応エッセイとして実在の人物を元にしたから筆者だけがリアルに感じてるだけかもしれない(~_~;)めちゃめちゃ恥ずい)
人体の構造や筋肉の知識とか人物画の描き方テクニックとかそのような詳しい事もまだ全く何の知識も無く、ゆるく絵を描く授業の際に画材を少し使うくらいの美術経験しかないような人物デッサンやスケッチの正式な知識も経験も何も無かった幼い頃から趣味でひたすら落書きしていたキャラクター達の特に目に、リアルな人間的な命のようなものが宿っているように感じる時があった。
子供の頃からアニメや漫画のキャラクターを真似て落書きしていた時、自分が無意識に一番力を注ぎ込んでしまうパーツは瞳だった。
今でも何故か目を描く時が一番楽しいし人体の中で一番魅力的で美しいパーツだと感じる。
そのせいか未だに人物キャラを描く時に全体バランスからしてどうしても目がデカくなりがちなので一応注意してるつもり…。
目の描き方はその時々にハマった数々の漫画家さんやアニメーターさんの描く瞳を真似てきて自分の今の絵柄に落ち着くまでかなりの遍歴があり、またアップデートしていく可能性もある。
小学生の頃になると毎月少女漫画雑誌を読みはじめて主に少女漫画に多い大きなキラキラした瞳にハマりだいぶ模写させてもらった。
特にCLAMP先生の濃いアイラインや瞳の描き方には物凄く影響を受けた。
中学生になると藤崎竜先生や和月伸宏先生のようなジャンプ系の描き方の瞳に影響されてゆき、少しシンプルなビジュアルになっても(この先生方の瞳は全然キラキラな部類と思う)意志や魂を感じさせる瞳の威力は全然変わらないというか寧ろ強化されてるという全体的バランスみたいなものを学ばせてもらった気がする。
学生の頃よく観ていた好きなアニメも今思えば殆どが大きくキラキラした可愛い魅力的な瞳のキャラが多かったように思う。
このように無意識にプロの先生の絵を真似し続けたおかげなのか、実際の目の構造とか綿密な光の角度とかちゃんとした目の描き方など何も知らないまま特に意識しなくても結果的にキャラ自身が見てる方向や視線が合っている状態を自然と描けていたのかもしれない。
昔から描いてる時はとにかく気持ちと感情だけで描いていた。
そのキャラの感情、気持ちになりきって、込めて込めて込めまくって描くだけ。
描いてる最中は自分がそのキャラと同化してしまってるのかもしれない。
キャラが笑ってる時は自分も笑ってるし、泣いてる時は自分も悲しい表情になってしまう。
そうじゃないと完成しても自分が納得できる生々しいリアルな表情や態度のキャラに見えないとある時気づいた。
だからガチで本気で描いてる時は自分の姿を他人に絶対見られたくない。
めちゃくちゃキモい変態の筆者がそこにいるのだ。
未だに極度の恥ずかしがりの自分は人前で人物キャラの絵を描いた時、凄く硬い表情の変にカッコつけたような無表情クールキャラみたいに仕上がってしまう事が多く凄く偽り感を感じていた。
このように感情強めで描くと、描いたキャラはまるで生きてる3次元の人間と同じくらい身近でリアルに自然な人物キャラとして感じられた。
こんな風に感じてるのは描いた本人だけなのかもしれないが。。。
この事を昔からチラチラ考えていた時、モナリザを代表的に伝説の人物画などの絵画も同じでは?と感じていた。
特にモナリザは見る人によって多分印象が違うと思われるしどの角度から見ても視線が合うとも聞いた事があって、凄く濃厚に作者の念が込められているように感じていた。
さらに魂が入るのは人物やキャラクターだけじゃないといえる。
小学生の頃「ちびまる子ちゃん」の単行本を収集していて、うろ覚えだが確か10巻以降のコミックス表紙に不思議な雰囲気のデザイン模様の中央にまるちゃんが描かれているというような表紙が何冊かあったと思う。
さくらももこ先生自身がその表紙絵に幸せとか幸福のエネルギー?パワー?みたいなのを込めて描いたからそれを見た読者にはそういう効果があるかもみたいな事が単行本内の作者コメント欄に書かれていて、凄いなぁと思ってじっくり表紙を眺めた事があったのを覚えている。
単行本の中には確か先生の実体験したエッセイ漫画もいくつか収録されていて、中には異次元の世界かパラレルワールドとしか思えない奇妙な古い建物に迷い込んで確か証拠の物質まで持ち帰ってまでいるけど奇妙な事にその日以降二度とその建物は誰も見つけられなかったというめちゃめちゃ不思議な話もあって凄く印象に残っている。
実際何かパワーを感じたのか?何かラッキーな事でも起きたのか?当時の事はそこまで覚えてないし分からないが、そういう風にプラスにもマイナスにも絵には何かエネルギー?周波数?のようなものを込められるのだろうと思っている。
それこそ魔法陣とかこの世に存在するあらゆる図形やデザインなども呪文や魔法のように作者の意図が何か込められているのかも?
そういう用途で昔から使われていた…?
「魔法陣グルグル」も激ハマりした大好きな作品だが、作中で登場するグルグルという魔法は術者が想いを込めて魔法陣という絵や図形を描いてその想いを具現化させるというもの。
やはり…。
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