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ワンネスを感じる時

最近、あるYouTube動画を観ていた時に気づいた事。

これは生きているとごく当たり前でとても普通のようなことだが、
スピリチュアル知識を知り、ワンネスという言葉を知って、それはこのような事を云うのでは?と思い改めて文字にしてみることにした。


ワンネスに気づいた時


その動画は、一見ネガティブな内容だった。

発信者の方の親が亡くなったというものだった。

私はその時丁度、
朝から自分の親の体調に異変があり不安で動揺しているというLINEが親から来ていて、
いろいろ返信をしつつも私自身ネガティブな未来想像までしてしまったりとかなり動揺していた時だったから、
夜に、このような内容の動画をチョイスして自ら観てしまったと思われる。

波動が共振したと云えるのかもしれない。

動画の内容は思った通り悲しいものだった。

分かってて観たのだ。

本物のガチで悲しい感情がリアルに伝わり、私も涙が止まらなくなった。

動画を観ていて、客観的にそんな自分を見ている自分がいて、気付いた。

私は、動画発信者の方のような悲しい体験はまだ未体験な事のはずなのに、まるで自分もガチ体験したかのようにマジ号泣していてその悲しみの感情に本気で共感している自分がいる事にあれ?と思った。

こういうのは別に今が初めてじゃない。

今までだって、映画・漫画・ドラマ・アニメや誰かの話などで、実際自分は未体験の事であってもマジリアル共感してしまう事は沢山あった。

この現象は、
自らの似たようなものや、近い体験から無意識に想像を膨らませたりしてしまっていて心が揺さぶられたからなのか?とも考えた。

だが、今回の件で、これはそんな浅いものじゃないと感じた。

悲しみの感情で溢れたその動画には、私と同じように悲しみに共振するコメントや温かい癒しのコメントが沢山書き込まれていた。

たくさんの人が同じ感情を共感し、たくさんの人が癒しと励ましの感情になって実際姿形が見えなくても動画発信者の方をすぐそばで支えて見守っているような温かく包み込んでいるようなイメージを感じた。

沢山の人の感情が本気で一つになっている感覚。

ネットの中だけの繋がりで全く会った事も無かったり姿形も分からない人同士だとしても、
この動画を観た時、私は、
人々の心は本当に繋がっている
と実感した。

そもそも、自分自身が体験していないにも関わらず他人の体験して感じた感情に本気で共感出来るのは、やはり、
私達の魂は繋がっていて元々一つの存在だったからだという答えに行き着いた。

これがもし機械やAIだったら、本人がまだ認知していないもの、体験していないもの、経験していないものはおそらく、存在していないものという処理になり、共感どころかその情報の存在すら現れることは決してないのでは?と思えた。

魂基準で考えると、今世でまだ未体験でも過去世では体験していた事もあるだろうし、そんな記憶だって潜在意識ではおそらく覚えてるだろう。

そして、ワンネスという名のアカシックレコード内で沢山の記憶、感情や経験、知恵などを共有し合っているから、だから自分が未体験の事であっても他人の感情に本気で共感出来るのはその証拠であると思える。

風の時代に入ってから、3次元世界ではいろいろな物質的なシェアが商業的にも多くなってきているように思えていたけど、感情や体験、経験のシェアは既にもう昔からとっくにされていたという事か。

具体的なワンネス体験


私達は普段バラバラで性格も価値観も感性も全く違うのに、
まるで一つになってると感じる瞬間を私は今まで何度も体験したことがある。

例えば、小中高など学生時代に体育祭など授業や行事の一つで、ダンスや鼓笛隊演奏、合唱コンクールなど、
普段は全く話もしないし目さえも合わないようなクラスメイト同士、学年同士、かなりバラバラなはずなのに、練習を重ねて何度も何度もその数分間だけを完璧な作品として集団の一体感を強いられる。

先生に何度も、みんなで一つに集中!と沢山怒鳴られ怒られるし、誰か1人でもミスったりズレると何度もリトライさせられ時間も延長されるからその時は必死で集中していた。

そして、100人以上の全くバラバラだった集団が同じ瞬間1つの作品作りに集中した結果、その数分間の瞬間だけ、とてつもない感動の作品が誕生していた。

観ている先生達も本気で感動したと褒めてくれていたので客観的に観ても素晴らしい作品になっていたのだろう。

私は何故かいつもその瞬間だけ感動していた。

それは、みんなと一つになっていると感じていたからだと思う。

また、飲食店でバイトしていた時に感じたものもある。

普段はバイト仲間同士、老若男女年代もかなりバラバラで気が合う事も意思疎通も出来ないような全く違うジャンルの人同士が偶然一緒に働いていたはずなのに、1番多忙になる時間帯だけ、
シフトメンバー全員のその時の凄まじい助け合いやサポート力、隙の無い連携プレイが自然と出来てしまうという謎の一体感を感じていた。

その時のみんなの頼もしさというか一体感は、とても温かいというか謎の力強さみたいなもの、何が起きても大丈夫、みんなでカバー出来るしみんなで助け合えるし補い合える、みたいな感覚。

バラバラな個々が一つに集中した瞬間、凄い事になるんだと改めて感じた。

ドラゴンボールに出てくる“元気玉”って多分こういうのを描いてるのかな?と。

“フュージョン”とかもあるし、鳥山さんってやはり凄い方だなと思いました。

音楽のライブやコンサートなどもこれに近い瞬間が発生しているのかもしれない。

現実に現れるもの全て=自分自身・全てと繋がっている


それと同時に、
自分以外の他人なはずの、私の目の前の現実に現れているその人達も“私”だと改めて感じた。

以前こちらの記事でも少し書いています↓

よく、他人に言ったことは自分自身に言ってるのと同じ事だから発言に注意した方が良い的な話を聞いた事があるが、この事の意味が改めてかなり府に落ちた。

自分の現実に現れる他人は自分の投影、鏡というのも府に落ちまくる。

私達はみんな繋がっているし元が同じだった。

誰も独りじゃない。

だから、
悲しみも嬉しさも楽しさも恐怖も罪悪感も孤独感も怒りも切なさも虚しさも愛しさも痛みもetc全部どんな感情でも、
自分自身はまだ未体験であったとしても、誰かの感情をリアルに共感し合えるのだろう。





最後まで見てくださりどうもありがとうございました。

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