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癒しフェア 2020 in Osaka に行った感想の続き 前世について

癒しフェアに行った感想前回の続きになります。

前半はコチラ↓


帰りに撮ったイベント会場のビル付近通路です↑


自分の前世、過去世が気になっていた


17時頃ゲストの方の講演の後、18時までまだ開催されていたので、もう一度会場全体のお店をフラッと見に行きました。

気になるショップは占いやストーン屋さん系などでしたが、やはり恥ずかしくてなかなかマジマジと見れず汗

占い屋さんもそれまではだいたいどこのお店もお客さんが席に着かれているようでしたが、17時以降は流石に少し空いてきているようでした。

たくさんのお店の中で、唯一少しマジマジと内容を見れるお店がありました。

そこは前世、過去世を見れるという占い?のお店でした。

私は前世や過去世などについて物凄く興味がありました。

ここ近年、スピリチュアルな情報や知識を見てしまう度に、前世や過去世の話題が出てくると無性にとても気になっていました。

人によれば、

今世、常に今を生きる事が重要だから前世や過去世なんて知る事自体意味ないとか、

そもそも輪廻転生はないとか、

過去世を知って今世のいろんな事を過去世のせいにしてしまう考えを持ってしまったりするとか、

過去世は地球だけじゃなく他の惑星もあるとか

そういういろんな説も聞いていたのですが、

それでも私は何故かやはりとても気になっていました。

自分の魂にもちゃんと過去世があるのだろうか?と。

幼い頃から何故か漠然と、自分自身はオールドソウルな気がしていました。

スピリチュアルとか何も言葉も知らない頃なのに、

その頃から自分は何故か、親とか大人を見ていてもなんか自分の方がもっと年配というか、賢者や仙人のようなもう人生の終焉を知った悟りの域に達している老人のような気がしてしまう事がよくありました。

実際、親にも何度かそれっぽいことを言われた事もありました。(親はスピリチュアルな事とか何も知らないし不思議な事も全然気にしないタイプなのですが)

そういうことが余計に自分には今の人生の前に過去はきっとあるんだろうなっていう思いを確信に近づけていったように思います。

かといって未だにすごく中二病だし趣味とか考え方とか子供っぽいし常識人でもない、

いつもしっかりしてないとか落ち着きがないとか言われるような全然大人になれてない大人なのです…汗

こんなダメダメでチキンで特に冒険も情熱的にも死ぬほどの努力もハメを外したりもせず人生の経験も浅く薄っぺらい自分の過去の人って一体どんな人生を送っていたのだろうかと、知りたくなるのです。

自分よりもっと真面目に努力していた人なのか?

もっと情熱的に生きていた人なのか?

もっと悲惨な経験をしていた人なのか?

すごく有意義な仕事や幸せな恋などをしていた人なのか?

それとももっと辛い悲しい恋をしていたり、

したい仕事も出来ずに悩みや後悔を抱えて生きていた人なのだろうか?

そういう事をもし少しでも知れたら、過去の自分も頑張ってたんだからなんか今世、こうしてまた生きるチャンスを与えてもらった自分ももう少し頑張ろう!とか思えるんじゃ…?と感じていました。

YouTubeで誘導のヒプノセラピー動画などを聴いて自分なりに過去世を見ようと実験してみた事もありました。

しかし、自分でなんとなくこれかな?というビジョンが見えても、やはり自分の妄想かもしれないという風にしか思えないし、

それが本当なのかいまいち信じられないし納得できないものでした。

やはりいつか専門の人に見てもらいたい、それなら納得できそうと、ずっと思っていました。

そこで、今回このお店の案内の内容に前世、過去世という文字を見つけた時にやはりとても気になっていたのです。

そもそも街中で見かける占い屋さんも占星術やタロット、手相などはよく見るけど、過去世を見てもらえるなんてなかなかないかも!?と思い、

その時は丁度お客さんもいないタイミングで、勇気を出して見てもらうことにしました。

自分の前世、過去世を見てもらった


お店の占い師の方はとても気さくで優しい感じの方でホッとしていました。

話の途中で知りましたがなんと占い師ではなくヒプノセラピストさんでした!Wao!(こういう体験も初めてで、すごい勘違いしていました汗)

でも私が欲していたのは正にそうそう、それそれ!って感じで一気にアガりました!

プロのヒプノセラピストさんだからやはりすごいんだ!モノホンだ!とマジで感動しました。

何故なら、お店で席について私は名前を書いただけ、他のことは何も話していない状態ですぐに私の過去世の1つを教えてもらい、

それが自分的にとても納得のいくものだったからです。

人には過去世が物凄い無数にあって、その中から今の自分が知って元気になれる、前向きになれるものを伝えてくださるということでした。

その教えてもらった私の魂の過去世のある人は、


ロシアかドイツの方に住んでいた人で、

あまり人とうまく交流などが出来ず、自分の意見や想いをなかなか直接言えないもどかしさやいろんなストレスがある時、

いつもヴァイオリンを弾くことに没頭して発散したり癒されていたよう。

そして次第にその人が弾く音楽がいろんな人の癒しになったり元気を与えられていたりと周りの人々の為になっていたということらしいです。

そんな人が私のそばについてくれている

とも教えてもらえました。


これを聴いた時、すごく納得と感動と嬉しさがありました。

一言で言うと、正にどこか自分と似てるような、なんか自分っぽいと思ったのです。

幼い頃から今も変わらない部分、変えようと頑張ってもどうしても変えられないところがあり、

この見てもらった過去世のエピソードにいくつも思い当たる節があったのです。

そして何より、こんな自分にも本当にちゃんと過去世があってかつてこの魂で生きていた人がいたんだと知れてすごく嬉しかったのです。。。

未だ慣れない日本


まず、ヨーロッパ系の国の人というところで激アガりました。

幼い頃から何故だかずっと自分は絶対ヨーロッパ系だと感じていたのでビンゴというカンジです。

過去世は物凄い果てしない無数の転生回数があるらしいのでもちろん日本で生きていた事もあると思うのですが、

何故か自分は幼い頃からこの日本という国には漠然とあまり馴染みが無い感覚というかどこか違和感がありました。

食べ物も景色も人の外見も建物も神社とかお城もあまりピンとこないというか今だに慣れない?どこか見慣れない感じがあります。

リアルな例で、食べ物でお寿司やお餅とか大抵の人が好きな伝統的な日本的な食べ物も幼い頃からどうも苦手で受け付けられないのです。

苦手とかほざいてるのは家族で自分1人だけです。(そしてよく怒られてきました(T . T)ただの好き嫌いなのか…)

因みに中華や韓国料理も何故か更に苦手なのです(T . T)

漢字も苦手で(^-^;学校での漢字テストなんかはドン引きなくらいにいつも点数が悪かったです…(だからって逆に英語が成績良いとかでは全くなかった(T_T))

また、物心がついた頃、本能的に感じていた事で覚えているのは、

人の顔がみんなペラっとつるっとしていて凹凸があまり無いというかお面みたいでなんか奇妙…コワい(見慣れない感じ?)という感覚でした。

とにかく変な違和感はずっとありました。

更に確信的な体験もありました。

一度、ドイツ、オーストリア、スイス、フランスを訪れた事があるのですが、

その時にどこに行っても何もかもが日本よりずっとしっくりきていてびっくりしました。

初めての海外だったし、景色やあらゆるものなども肉眼で見るのが初めてな筈なのに、異国な筈なのに、空気感とか全てが不思議とどこかとても懐かしさというか既視感がありました。

もしかすると、この既視感は小学生頃によくやっていたゲームの影響なのかもしれないですが…(^^;
ドイツの時は特に感じました。
街やお城、古城、道、河、山などのフィールド、何処を見てもリアルドラクエ、リアルFF、リアルヴァルキリーだ!!とか…。
このようなゲームの影響なのか?幼い頃から何故かずっと中世ヨーロッパ系が凄く好きでした。

個人的に当時このCMがめっちゃ好きだった↓


食べ物も空気も景色も自然も建物もファッションも人もどれもパーフェクトに心地よかったし自分にとってとても自然に感じました。

しっくり来てないのは言葉だけですね(;´д`)(喋れなさすぎ(ーー;))(あ、あと公衆トイレが有料ってところとかくらいかな)

不思議と日本だと昔からよく花粉症やくしゃみとか調子悪い時が多いのに、ヨーロッパの国では全く症状も出ないどころか空気が澄んでいるというか吸いやすいようにも感じました。(季節のせい?)

水もヨーロッパは硬水の筈なのに、私は何故か日本でのお風呂やシャワーの水の方が入浴後髪も硬く肌も乾燥するようなギシギシ感がいつもあり(温泉は大丈夫だけど)

ヨーロッパで宿泊したホテル(全然高級というわけでもない普通のビジネス的なホテル)で入浴後は、何故か髪もフワフワ柔らかく乾きも断然早いし肌も潤っていました。

普通、硬水だと髪とかバシバシで肌も乾燥するとか言われてるのに、私には通常の日本での方がそれに近い状態に感じられてしまいかなり変でした。

また私は神社やお寺よりも教会や神殿などの方がすっと受け入れられるというか、教会なんて日本でも入ったこともなくこの海外旅行で初めて行ったっていうのに何故か馴染み深いというか自然に落ち着くというような感覚があったのです。

逆に神社やお寺は未だにまだ本能的にどこか慣れないというかあまり落ち着かないし特別すすんで行きたい気分になれません。

着物や浴衣とか畳とかもそう…なんか未だに圧倒的に違和感があります。

こういうのって小学生くらいからやりだしたRPGゲームとか映画で観ていた影響で中世ヨーロッパとかがただ単に日本より好きなだけなのかな…?(ただの好き嫌い、憧れなのか…)

いや、でもまた覚えてることがありました。

4、5歳の頃私は弟を巻き込んで一緒に小さな布製のキーホルダー人形でおままごとみたいな平凡な日常の暮らしゴッコ遊びにハマっていた時期があるのですが、

自分の中でその家や舞台の設定がひと気のない美しい自然に囲まれた風景でどこかヨーロッパの田舎の場所というビジョンが頭の中にずっと自然にありました。

これはただ単に無意識にTVでやる映画とか何かで見た景色などが刷り込まれていただけだったのだろうか…?

人見知り、人嫌いな性格


私は幼い頃から未だにずっと人見知りでコミュ障。

積極的に自分から人にコミュニケーションを取る事がなんかすごく苦手で、気が知れた人以外は本当に必要最低限しか話せないのです。

何処かで偶然知り合いを見かけたりした場合も私はいつも気付かれないように速攻で隠れてしまう癖があります。

人前に出たり目立つ事や集団も苦手。

こういう悪い癖、性格が大人になっても未だに治らないイタい人間なのです。。。

そのくせに、自分の中身を表現したい気持ちはすごくあるのです。謎の矛盾(°_°)

私は幼い頃からよく、理想と違う現実の虚しさから逃避するように自分の勝手な理想を絵にして発散していました。

私はヴァイオリンは全く弾けないし(実物を見たことも無いレベル)楽譜もロクに読めないけど、

基本幼い頃から音楽や歌は普通に好きです。いやけっこう好き。

曲を聴いてると、それが特に好きな曲とかの場合本当にガチでボルテックスの中にいるような無になる感覚を何度も体感したことがあります。(日本の音楽は好みの曲が少ないというかあまり感じないけど洋楽はもうめっちゃ感じる)

この性格的な面と芸術系が趣味な部分は幼い頃から当たり前にあってこれがデフォルトでどうやっても変えられなかった部分だったので、

この過去世を聴いて超納得、間違いなく自分の魂だろうなと感じました。

楽器は弾けないけど…。(でもギターは凄く弾きたくなる。)

芸術で生きていく


この過去世の人の話を教えてもらいすごく勇気付けられました。

私の過去世の人は本当に芸術のボルテックスの中で生きていた人なんだろうなって知れました。

好きだからとか仕事とか誰かの評価とか結果とかそんなんじゃなく、

もう常にそれがないと生きていけないような、それが自分自身のような感じだったんだろうなと感じます。

すごい生き様。カッコいいなぁ。

そしてそれが人々の為にもなっていて最高じゃん。

その点私は今、音楽じゃなく多分絵の方だけど、私はまだまだ全然本気で全力でぶつかれていない。

昔は確かにストレス発散や気分転換の為に描いていたのもあった。

でもそれではダメとかもし仕事にするならもっとちゃんと能力や才能がないととか思って、次第に半ば封印というか遠ざけるようになっていた。

でも改めて全然ダメでも何でもなかった事が分かり、

ただシンプルに好きな本来の道に戻ろうと感じました。

結果や評価を気にしてばかりいたけどそれもどうでもいいみたい。

逆にこれ以外のことを無理に頑張って仕事にしようとする方がやはりダメっぽい。(ダーマ神殿で魔法使いキャラを戦士に転職させてもレベルが上がり辛い的なカンジ)

本気でこの一生を通してやりたいと感じました。

自分の使命?課題?生きる意味?みたいなのを炙り出したい時、昔からいつも一番有効だなと感じている方法は、

死ぬまでに本気でやりたい事、死ぬって分かった時に出来てなくて本気で後悔を感じるだろうなって事、

それが今世でこの3次元の地球でやりに来た事や使命的なものだろうなと感じています。

この簡単に使命を見つける方法に関してはコチラ↓の記事にも書いています。


私はとりあえず今10種類くらい描きたいと感じてるネタや構想があるアイデアを作品としてそれぞれ形にする事です。

私の場合これが描き終えれないまま死ぬとしたら多分うまく成仏できないような気がしているのです。

しかしどれも短編に纏まりそうになくてまあまあな長編になりそうでキツい…。

そして、自分が日本に産まれた意味、というか日本を選んで来た意味も前から何となく感じてたのは、もしや”漫画”なのかなと。

世界的に文化的にも日本が率先してるというか作品も多いっぽいし。

私の魂は漫画を使って表現したがっているのか、

それとも、日本に産まれたから自然と身近な漫画が好きになりそんな身近で自然な芸術を使おうとしているのか。

まあ別にそんなことはどうでも良いけど、とにかくやります。

診断中、この過去世の話の後に自分が漫画を描いている話をすると、どんなのか見たいとなり過去の作品をスマホ画面で小さいけど見てもらったりして感想やアドバイスなども聴けたりして非常によかったです。

そして漫画の事を話すと、やはり芸術系で生きていく人だと判定的な事も言ってもらえて嬉しさと自身もついたのです。

大切なアドバイスをもらった


昔から自分が興味あるジャンルで作品を描きたいけど、

それは世の中であまり売れるようなジャンルではなく需要がないから一般受けしないと言われてきたし自分でもちょっとそう感じていた。

自分が興味あるからといって世の中の人々も興味があるテーマとは限らないということを知った。

でも無理に読者を意識して(重要だけど)受けの良いジャンルや設定、ストーリーで描くのは自分に嘘ついてる状態で、

自分自身が本気で楽しめないし正直辛い。

そんな事も相談したら、

売れてる作品は既に世の中にあるから私は無理にそういうの描かなくて良いという事、むしろマイナーでも自分の好きなものを描いた方がいいって事、

本当に心の底から描きたいものを描くのが一番いいという意見を貰えて、

改めてなんか納得というか腑に落ちて安心できたのです。

(こういう系のことがドリーン・バーチューさんの本にも書かれていました)

因みにこちらの本です↓




そして、日々の生活の中で感謝や愛のある想いを持つ事、また言葉にして発する事がとても大切だと。

言葉は空間全体にもエネルギーやパワーが行き渡って波動を変えていくみたいです。

これは確かによく聞いた事があります。

言霊ってすごいし力があるのは有名で、アファメーションってのもあるぐらいだし。

とても良かったので私はこの後追加で、琉球推命というこの先の運勢などが統計的に分かるという占いデータも見てもらいました。

今回私が占ってもらった先生梶岡あん子さんのサイトはこちらです↓

癒しフェアの帰りに起きたこと


いく前に、昔から人混みが苦手で疲れるのに、そもそもこんな人混みのフェスに行っても本当に癒されるのだろうか…

とか思っていた。

しかし、この日私はたくさんの重要な事を知れ、結果とても癒されました。

帰り、会場を出るともう9月だからか日が暮れるのが早くなってきていて、外はもう夕闇だった。

コスモスクエア駅まで、歩いてる人がホントに全く誰もいなかった。すごい清清しい!

夜のこの駅付近の南港の空気や景色がとても好きなのです。











音楽を聴きながら、爽快な風を感じながらルンルンでコスモスクエア駅目前に差し掛かった時、

私はふと電車の時刻が気になりさっきも見ていたはずの帰りの経路の電車画面を表示させようとしていました。

なんかギリギリで間に合わなかったら嫌だなぁという思いから小走り状態で。

すると急に私の左足の前に何かが立ちはだかったようで、私はそのまま黒いグレーの硬いアスファルトの道路のど真ん中に倒れこんでしまった!

一瞬何がどうなったのか分からない、

聴いていた音楽も止まってしまって、酷い現実に叩きつけられた。

とにかく痛っっってー〜〜ーーーーー〜〜〜〜〜〜ーーーーーー(ToT)

そして道路のど真ん中にぶっ倒れてることがめちゃ恥ずい!

幸いにも静かなもので、車は全く来ていなかった。

すぐ後ろから黒っぽい服の男性が歩いてきている気配がして恥ずすぎて速攻立ち上がる。

ゆっくりしてられない、電車が来るじゃないか、

数メートル目の前は駅構内入り口の白っぽい照明の光に照らされていた。

立ち上がる時左後ろを振り返ると、道路上にあるような赤いポールのようなものがバキッと折れた状態でそこにあった。

ゲッ…、まさか私が折ったの?!

とか思いながらもそそくさと駅に向かう私…(−_−;)

倒れる時にとっさに手をついて、顔も真正面を回避し横を向いたせいで左頬も、あと膝も強打していた。

左手に持っていたiPhoneも投げ出されていた(T . T)(また落とした(T ^ T))

さっきまでのテンションから180°変わってしまった。。。

明らかに波動が…(T-T)

とか思いながらもうさっきみたいに勢いよく走れなくて、ヨロヨロと足は取り敢えず駅のホームに向かう。

エスカレーターを降りながらICカードを出そうと鞄から財布を出そうとすると、手が血だらけだった(ノД`)!

血が布地の財布についてまたショック(T-T)(こういう時に限っていつもと違う財布を持ってきていたT_T)

取り敢えずティッシュで止血しながら、顔もめちゃ痛い。

鏡を見るのが怖すぎたが、駅ホームの姿が映るところで見てみると、傷はないみたいだった。(いつもしていないのにこの日はマスク必須だったせいで偶々していたマスクが防御してくれていたみたい、すごい有り難み!)

不幸中の幸いで、切れてるのは手だけで、膝も打っただけのようだった。

綺麗に履いていた気に入っていたスカートも膝の辺りの目立つところは全然汚れていなくて、裾の端っこの方が少し擦れているくらいで済んでいた。

iPhoneもまた傷ついたけど、幸いにも画面側ではなく背面側で、

イヤホンも音楽が止まって焦ってたけどまた再生もされて無事だった。
(帰ってからよく見るとイヤホンジャック根元付近の白いチューブが擦れて剥がれ中のコードが剥き出しになりかけていたΣ(゚д゚lll)なのにそんな状態になってでも変わらず懸命に動いて私の耳に音楽を届けてくれている…。改めて私にとって当たり前のようにいつも使っていて気付かなかった日々の中で欠かせないイヤホンがもはや私の体の一部のような存在になっていたんだとその有り難みに気付かされた…。とりまテープで補強した。)

もしもっと酷い状態になっていたら…と思うとなんて軽傷だったんだと奇跡のようでとにかく有り難かった。

そして自分の出血や傷などを見て、逆にすごく新鮮だった。

自分的には、わんぱくな子供が喧嘩とかした後みたいな、もしくは壮大な冒険の中で凶悪な敵と戦った後のようなアドベンチャー感溢れるといった感じの傷跡だったのだ。

自分のけっこうな生血を見たのって何年ぶりだろうか…。

そう思えばあまり見ることってない。

そしてこのコケた時すぐに思ったのは、これは一体どういうこと?どういう意味なのだ?!ということだった。

いやいや、歩きスマホしてたんだから自業自得だろ。とうとう思い知ったか。というだけのことなのだけど…。
(私はよく歩きスマホをしてしまう。一度お店の通路でも小学生くらいの男の子に「歩きスマホはダメなんだよ〜?!」とか注意されたこともあった(⌒-⌒; )

しかし普段ならしっかりスマホ画面を見ながらも同時に足元も見えているからこんな何かにぶつかるなんて無いはずなのになぁとかも思った。

歩き慣れていない場所ということと暗かったのと焦っていたせいかな…?

帰りの電車内でずっとこんなことを考えていた。

あぁ、最後のオチで結局1日の癒しが全部パァじゃん!

私はやっぱ行く前からこのフェスで本当に癒されるのか疑っていたところもあるし、その通りになったんだ。。。

とか。

しかし後日、この事はやはり私にとって大きな意味を示しているんじゃないかという考えになりました。

癒された事で、成長が促されて直ぐにでも強いデトックス、浄化が起きたとも思えるなぁと感じたのです。

まとめ


歩きスマホはやはり本当に危険という事ですね。

歩くときはできるだけ歩行のみに集中したほうが良いですね。



最後まで見てくださりどうもありがとうございました。





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