ムーミンコミック本感想(ネタバレ有り)
昔見たムーミン漫画を求めて…
去年の12月頃に、急になんかムーミン漫画を読みたいと思い、検索してヒットした中からとりあえず買ってみた。
しかし自分が探していたのとは違っていた。
自分が探しているものはなかなか見つからなかった。
それは、自分が小学生低学年くらいの頃に地元の田舎の小さな図書館で見たムーミンの漫画本だった。
基本的に当時から活字が苦手で、せっかく図書館に行っても自然と絵本やデザイン書などばかりを手に取っていた。
その中でムーミンの本が結構いくつもあった。
幼少期頃だったか?多分再放送っぽいアニメを少し観たことがあったので存在を知っていた。
しかし、その時本として見るのは初めてだった。
その本は、確かA4くらいのサイズ感で横長でハードカバーで薄めで、中身がオールフルカラーでコマ割りがされていて、作者の手描きの漫画だった。
そのカラーもセル画のようなパキッとしたものじゃなくて、絵の具で手描きで着色されたような物凄く味のあるものだった。
緑の木々や森などの描写の色合いなど、ムーミン谷の世界観の様子がフルカラーで描かれていたのが今でも記憶に残っている。
当時殆ど文字を読まずに立ち読みで絵だけザッと見たように思う。
あのトーベ・ヤンソン氏の味のある北欧のオシャレな贅沢な漫画が忘れられなくて、売ってないのかと探したのだが見つからなかった。
あれは幻だったのか…。
ムーミンコミックス本は販売されているようだがどれも中身はモノクロ漫画っぽい。
今回買って読んだものもモノクロである。
間違いなくトーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン氏達直筆の漫画だが、自分の記憶の中の漫画とは何かが違う。
あの時図書館で数冊見たあれはなんだったのか?
作画は間違いなくトーベ・ヤンソン氏またはラルス・ヤンソン氏だったと思う。
何故なら、自分はその書籍の表紙に書かれている著者の名前を見てその時に初めてトーベ・ヤンソン氏の名前を知ったから。
絵本だったのか?
しかし今はそのような絵本すら見つけられなかった。
自分はパラレル世界へ世界線移動してしまったのか?
初めて“漫画”を知った時
とにかく自分は、漫画としてコマ割りされていてカラーという贅沢な書籍が好きなのだと最近再認識した。
少しまた話が脱線してしまうが、筆者が生まれて初めて紙の書籍として漫画という存在を目にしたのは幼稚園の頃だった。
TVでアニメというものはもっと前の物心ついた頃から結構観ていたので、漫画よりアニメの方が先に知ったという事らしい。
筆者が通っていた田舎町の幼稚園では、毎月月末頃に何故か薄っぺらい絵本が2冊配布されていた。
それはよく学校などにあるような児童系のなんの変哲もないよくある絵本だった。
1ページまるまるドバッと絵があり、文字もしっかりあるという。
その頃親に本を買ってもらう事など多分なかったので、自分が所有できる本という存在が出来た事が嬉しかったと思うし、絵本というもの自体が結構好きと感じていたが、文字を読むのはちょっとだるいというか(文字数少ないのに~_~;)、できればもっと絵ばっかりにしてほしいとか思っていた。
そういう普通の絵本が大半だったが、確か卒園間近頃の月に貰ったある一冊の本を開いた時にめちゃくちゃ感動した。
その本はなんとフルカラーで(絵本だから当然フルカラー)コマ割りされていて、1ページにたくさん絵がぎっしり詰まっている、しかも文字はあるけどコマの中の吹き出しの中に少しあるくらいで9割が絵。
1ページの中に沢山コマが割られていることで沢山のカメラワークからの絵が詰まっている事にとても贅沢感を感じた。
その絵本の作者はたむらしげるさんだった。
ロボットと男の子がいろんな街など世界を冒険してるという内容でした。
今見てもやはりたむらさんの絵は好き、最高の世界観で感動する。
そんなかんじで改めて原点に立ち返って自分の描きたい画風を模索しているところ。
という経由で近年グラフィックノベルにも目醒めてきた。
前置き長すぎる…(ー ー;)
英語対訳 ムーミン・コミックス 感想
読んでからちょっとこの感想を記事にするまでブランクが空いてしまった。
別に当初感想を書く気もなかったけど、心に残る場面があったので、やっぱ書き残そうと思ってしまった。
とりあえず、まず率直に一番言いたいのは、一番好きな推しのスナフキンが登場する回が1話しかなかったということ( ; ; )
ミーも好きなのに殆ど出てこない。
スナフキンとミーが主役の話にしても良いってくらい自分は個人的にこの2キャラが好きでムーミン観てきたのでちょっと残念だった。
表紙にも登場してるのに…。
多分、日本ではスナフキンファンはかなり多いような気がするので敢えてそういう表紙デザインにしたのだろうか…などと思ってしまうような表紙だ…。
中身は全部で7話収録されているが、私が思わず感想を綴りたいと思ってしまった話がそれこそスナフキンが唯一登場している『ムーミン谷のきままな暮らし
The Conscientious Moomins』という回だ。
スナフキンが登場するからというだけじゃなく本当に重要なメッセージが表現されていると感じた。
『ムーミン谷のきままな暮らし The Conscientious Moomins』感想(ネタバレ有り)
ある日、良心と義務連盟メンバーと自称する怪しい黒コートの人物が急にムーミンの家に来て、ムーミンパパに話をしだすのです。
明らかにこの人物は現代で云うグローバリスト(DS)っぽい感じに思った。
良心と義務連盟メンバー「ムーミン谷は遅れをとっておりますな。責任感においても然り。」
ムーミンパパに向かってだんだん説教っぽく責めるような事を言い出す。
良心と義務連盟メンバー「あなたは働きもせず、あなたにとって人生は戦いですらないと?お金も稼がず!」
ムーミンパパ「必要ないもので…」
良心と義務連盟メンバー「お金というものはね、稼ぎ始めるや否や、必要になるのです!」
そんな話をまともに聞いたムーミンパパは、
ムーミンパパ「わたしは妻を養いもせず…。こんなので息子はまともに育つのだろうか?」
「なんとお気楽に生きてきたことか…!」
とか急にシリアスになって悩み出すのです。
そのコマには、
《Work is my Pleasure!》(労働はわが楽しみ!)
《...and Duty my Joy!》(そして義務はわが喜び!)
とか書かれている!ひぃぃ…(*_*)
それから、ムーミンパパは
「義務を果たす生活に、ハンモックなんか要らないんだ!」
「これからは労働と我慢の日々だぞ!」
とか言い出して、翌日からムーミン家族全員が何かしら仕事をする生活にシフトしていくのです。
朝から慣れない目覚まし時計で無理やり起きたりとかして。
この回の出だしはミーやスナフキンが登場してほんわか平和なワクワク感があり凄く良い感じなのに、ムーミンがスナフキンに再会出来たと思ったら(読者的にはやっと登場してくれたと思ったら)、数コマで、この労働の義務と無職で自由な事に罪悪感を抱かせる洗脳をしてくる謎のキャラが登場してきて、おかげでスナフキンはすぐフェードアウトしてしまうのです。
スナフキンはこの黒ずくめのキャラがムーミンの家に入る前の段階でその外見を一目見ただけでもう何かを察知して、避けるように消えていってしまう。
凄い野生の感の鋭さ!
流石だなとか思ってしまった。
というかスナフキンとあの謎キャラとは多分真逆なくらい考え方も価値観も波動も違うからそもそも遭遇しないのかも。
それからムーミン一家がみんなそれぞれ慣れない仕事を無理矢理探したり試行錯誤してるうちにムーミンはなんとなくみんなが変だと違和感を感じたのか、
ムーミン「スナフキンに会わなくちゃ。まともなのは彼だけだ。」
とか言ってスナフキンを探して会いに行きます。
(まあ、ミーも何もしてなさそうだからまともでは?と思った。でも悲しいかな殆ど登場してない(TT))
そしてスナフキンを見つけたムーミンと二人のシーンになり、
表紙のコマが登場してきて、
英語対訳 ムーミン・コミックス表紙 このシーン↓ |
ムーミン「What is Duty, Really?」
(ねえ、義務ってなんのこと?)
スナフキン「Doing what you Don't want to.」
(したくないことをすることさ。)
スナフキン「Now this isn't being conscientious, lying in the Sun smelling Flowers
and Grass...」
(太陽の光を浴びて寝そべりながら、草花の匂いを嗅いでいるのは、義務に忠実とはいえないのさ…。)
ムーミン「NO-O.」
(そうかぁ。)
ここのスナフキンのセリフに感動した!!!
シンプルに分かりやすく核心しか言ってない。
生まれた時から奴隷養成教育&奴隷労働社会がデフォルトの我々からするとこのセリフはなかなか出てこないというか発想すらも無いかもしれない、とか思った。
自然に触れ合いゆったりと一日を過ごすような生活の時間を持って暮らしている現代人は一体どれくらいいるのだろうか?
そういう何もしないで自然を感じてボーッとする時間を1日の中で持てることはとても贅沢に値するというか、人によっては時間が勿体無いと思ってしまうような、それくらい不自然な価値基準になっているように思う。
子供の頃から、日常の中でなんとなくボーッとしたりだらだらしていると大人達からは悪い印象に持たれる事が多かったような気がする。
日々規則正しく時間管理力を持ち社会的に生産性の高い能力のある人間に育てる事が正しいかのような教育や躾をされているように感じる。
ムーミンファミリーやスナフキンが日々やっているような生き方を見てると、それが本来自然な事だったのに、現代の地球ではほぼ失われてしまったらしいという事が良く分かる。
その後もムーミンは“個性を育てる本”とか詐欺っぽいものを試したりと色々迷走して、遂に自分の好きな事・興味のある事を仕事として始める事ができるようになる。
その仕事をしてるところを見たスナフキンはまた以下のセリフを言う。
ムーミン「Just imagine, having a Pleasure for a Job!」
(すごいや、楽しみが仕事になるなんて!)
スナフキン「Yes. That means you keep the Job and lose the Pleasure.」
(というより、仕事を手に入れて、楽しみをを失う、という意味じゃないかな。)
ムーミンが貝殻集めの仕事中にスナフキンに2つの貝殻を見せながら、
ムーミン「どっちがいいと思う?」
スナフキン「仕事となれば、選んでいられないだろう。片端から拾うしかないね。」
ムーミン「それじゃ、集めるとは言えないよ。」
そう言われて、とてもがっかりした表情と、黒い陰を落しているムーミンの絵。
このムーミンとスナフキンのやり取りのセリフにもグサッと心に響いた。
よく“好きな事を仕事にしよう”とか云ったりするけど、好きな事を仕事にしていて、仕事じゃなかった頃・ただの趣味だった頃のような本当の純粋な楽しさや生き甲斐、喜びや感動を同じように感じらるものなのだろうか…?
という、未だ好きな事を仕事に出来ていない分際の自分だが思ったりする。
例えば、個人的に漫画界でいうと、商業漫画の実情を知った時に当時なんか一気に冷めて、まさに上記のシーンのムーミンの絵のようになったのを覚えている。
そのように感じてしまった自分は、プロの漫画家になるにも目指すにも値しないそれまでの人間だったのかと深く自分に失望した。
スナフキンは人生を日々魂に正直に自分の生きたいように好きな事だけに集中して常に“今”を生きてる本当の自由を謳歌してるキャラだという事が改めてよく分かり、だからスナフキンのセリフや生き方には覚醒を促されるし自分軸に戻してくれるのだと感じた。
そういうところも人気になる理由なのか…。
この書籍には他にもガッツリ戦争を風刺してる内容のストーリー『ムーミンたちの戦争と平和 Moomins
in
Battle』という社会的な内容のものも収録されていて、結構今までの癒しでメルヘンだけと思ってたムーミンイメージが変わってしまった。
日本のアニメで放映されてたほんわりした印象や、現代はファッション感覚でデザインとして扱われていたりして、そういう刷り込みのせいかもしれない。
芸術家達の内容の話もあって奥が深いと感じる。
改めて作者の意図、想いなど原作を知れて良かった。
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