PR

〈電子書籍/コミックの品揃え世界最大級〉【ebookjapan(イーブックジャパン)】

PR

DMMブックス

運命の人(ツインレイ)にだけ感じた不思議な事



運命の人を思い出してしまう日


9月のある日、

もしかしたら彼(好きな人)の誕生日なんじゃ?と私が勝手に妄想している日がある。(私は彼の誕生日さえも知らないのだ泣)

そしてその日偶然実家に行く事があった。

久々に、改めて実家の自分の部屋の机の引き出しとかの中をちょっと見たりした。

クローゼットの上の段にはかつての卒アルだってあるのだ。(絶対見ないけど)

彼の実家だって、今から思うと自分の実家から自転車で行ける近さの距離にあったこと…。

(この事も当時彼と同じ小学校出身の友達が、何も聞いてないのに勝手に教えてきて知った。そういう風にいつも自分は何もしていないのに、友達も彼と直接特に話したりする仲でもないのに何故か不思議と勝手に彼の情報や話題を聞かされることが多かった)

(因みに当時彼の家を初めて見た時結構動揺した。家の外観や立地環境、またウチぐらいしかやってるの見かけないような和室の障子を貼り替える為に扉を一旦屋外に出している状態だったりしたのとか、色々細かいところまで自分の家と似ていて変に親近感を持ったりもした)

新しい建物や住宅が建ち地元の景色は色々変わってしまってきているけど、

それでも地元の空気感、景色、また不幸なことに学校も近くて、

当然、私は彼を思い出してしまう…。

あの家で、

あの小さな自分の部屋で、

当時の自分はその時なりに精一杯だったと改めて思った。

そして、目まぐるしくその日が終わって、後になってまた気付いたのだ。

ああ、そういえば「この日」だったって。

別に彼の誕生日でもなんでもない全然関係ないかもしれないし、自分の勝手な妄想だけど、

私は勝手にちょっとそう思ってしまっている。


運命の人


「運命の人」と一言に言っても、

小さい頃から勝手に思ってた解釈は、

最愛の人とか、本当の意味で愛し愛される真実の恋人、とかそんな風に思ってた。

もしも私の捉えている解釈と世間の解釈が違っていたらヤバいなと思い改めて調べてみた。

「運命の人」だと結構エゴってる情報ばかりだったので、「運命」で調べてみるとフラットな情報が出てきた。

参照⇨https://ja.wikipedia.org/wiki/運命

運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、
  • 人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。
  • 人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福。
  • 将来のなりゆき

このことから私が勝手に導き出した「運命の人」の定義は、

ポジティブとかネガティブとかな意味を勝手につけるかつけないかは自分次第で、

どっちにしても、自分の意思とか計算とかエゴとかそういう人間の小さな脳では計り知れない、

宇宙の采配、流れの中で出会うべくして出会う人。

自分にとって良い影響、悪い影響、どちらにしろそれを計るのは自分であって、

自分自身が良い意味でも悪い意味でもトリガーを受ける、影響を受ける人。

その人に出逢って以降明らかに自分が変化したとか、

自分がより本当の自分に近付く事になったきっかけの人。

そういう解釈でいくと恋愛だけに関係なくなってきて、人生の中で運命の人はきっとたくさん出会ってるね。

私はずっとこの言葉を恋愛的な意味でしか捉えていなかった。

でも改めてフラットに考察すると、違ったのか…。

運命の人って結局、より魂を研ぎ澄ませるのに係わりのある人でスピリチュアル的な話なのか…。

(まあそれをいいだしたらこの世全てなんでもスピリチュアルで説明できてキリないよね…)

だがこの記事はあくまで、恋愛的な部分にフォーカスした運命の人について書きたいのだ。

恋愛的な意味で運命の人だと思うか思わないかは当たり前すぎる事だが、

それは自分次第である。


運命の人だけに感じた本当の愛の感覚


ここからはあくまでも私個人が思う運命の人について書きたいと思います。(恋愛的な意味でのね)

私の場合、その人を初めて見た時、とても不思議な感覚だった。

よく言われる、どこか懐かしいとか、初めて見るはずなのに不思議ともう知ってる人のような、

確かそんなことも感じた。

見た目も決して好きなタイプじゃないのに、なんとなく、いずれ好きになってしまいそうな気もした。

と同時に、もし好きになったら自分は多分めちゃくちゃ傷つくだろうから、

絶対好きにならない方がいい人だと思った。

そういういろんなことを、見た瞬間の0.1秒くらいでザッと認識していたかんじ。

そしてその瞬間以降、なんとなく気になる人、変な感じがする人という意識になった。

すると、自分の周囲から聞いてもないのに勝手にその人の情報がどんどん入ってくるようになったり、

私がその人に注目するような状況が起きていた。

そしてある日、

その人と目が合った気がしたけど、

1度目は全く信じられなくて気のせいだと思っていた。

私と彼は学校のクラスの中でも全く対照的な人種というか人柄で、接点もまるでなかったし、

特に私は陰キャ、コミュ障、2次元オタクで、学校では勉強も運動も全部ダメダメな人間だったから、

社交的で明るくて不良やギャルとも仲が良くいつも堂々としていて成績も優秀な彼みたいな人からは、

世界が違うし、多分馬鹿にされていて、軽蔑の目で見られているのだろうと思っていた。

でも、私の目は何かを確かめたいのか?気付けばまた彼を見てしまっていた。

すると、やはり何度も、目が合っていると感じた。

そしていつの間にか、彼が頻繁に自分を見ているような気がしていた。

常に視線を感じて、彼と同じクラスだった2年間はいつも神経が過敏になってしまっていたと思う。

彼と目が合う時、いつも非常に不思議な感覚があった。

目が合った瞬間、

私は、まるで彼に吸い込まれてしまったかのように、

音も時間も距離も無い、別の次元に行ってしまったような感覚があった。

現実はおそらくほんの数秒の事なのに、

それはいつも長く感じた。

現実に戻って意識がリアルになるまでにタイムラグがあるような感覚というか、

悪い頭が更に変になっていった。

それと同時に、

まるで彼に自分の心臓を、銃で撃ち抜かれているような、またはナイフで突き刺されているような、

目が合う度に毎回殺されているかのような、

凄く衝撃的でショックで、リアルに重い感覚があった。

ショックすぎて、しばらく痺れたような感覚と、

深く何かを刻みつけられたかのような激しいインパクトが、

時間が経っても後からその瞬間の事が何度も思い出されてしまって苦しい感じがあった。

そういう意味でも彼と目が合うのが怖いとも思っていた。(その後長年トラウマ化していた)

(今思い出すとあれは、自分の心臓、じゃなくて、魂?の硬いコーティングを外からガンガン割られていたようなビジョンとも思えてきた)

それでも気付くと目が勝手に彼を見つけてしまっていて、いつもすぐ目が合ってしまった。

目が合うと、ショックと同時に心の底から異常に嬉しさと幸せも感じた。

しかし、何の接点も無くただよく目が合うというだけであって、

なんでそんなに目が合うのか、自分を見てくるのか、分からなかった。

私はというと目が合う度に確実に意識してしまって、好きになり始めてしまっていた。

でも彼は、別に何の好意もなく、むしろウザくて目障りな嫌いなクラスメイトだなという思いで睨んでいるだけなのかもしれないとも考えた。

そう思うしかないくらいリアルでは何の関わりもないしキャラが違いすぎたのです。

でも、もし嫌いな人だったら、しょっちゅう何度も見るものだろうか?

とか、疑問も感じていて、

当時はすぐにググったり出来る環境でもなかったので、よく少女漫画を貸してくれた別のクラスの大人っぽい友達に訊いてみたり、少女漫画を見てヒントを探したりして、自分なりに彼の気持ちを推測したりした。

すると、彼がだんだんぎこちない謎のアプローチ?行動を起こしてきて、

信じられないけど、好かれているかもしれないと思えてきて、

もうこの頃から完全に好きになってしまっていたと思う。

急な下り坂を転がり堕ちていく一方で、止まらなくて、ただただ急降下していった。

いつも不思議な吸引力の瞳で私を真っ直ぐ見つめてくる、彼が好きだった。

また、何故か彼に私の考えや中身を全部見透かされているような気がしていて、いつも凄く恥ずかしかった。

目が合った時の謎の衝撃は数ヶ月くらい続き、慣れてきたのか麻痺ってきたのか、

次はまた別の感覚も感じるようになっていた。

彼の行動や視線から、会話していなくても「想い」や「考えてる事」みたいなのが言葉みたいに分かるような感じがしていた。(ほとんど会話したことがないのです泣)

そしてその頃くらいから私はハッキリと色も視えはじめた。

これは彼にだけ特にハッキリと感じていて、次第に他の人にもなんとなく感じられることも後でわかった。

当時、何故かすごくハッキリと彼の周りに緑色の光がいつも発光しているように視えた。

学校が嫌いだったせいか、校内はいつも灰色のような鬱々とした色合いにしか感じなくて、

そんな中で、

彼はいつも凄く綺麗な新緑のような眩しいグリーンの光を放っていてさらに目立っていた。

太陽を直視するのが痛いのと同じくらい、私にはいつも彼が眩しすぎてほとんどまともに見れなかった。

不思議なのは、

私は彼の姿を、白か黒の制服or蛍光ブルー、白の体操服orネイビー、黒の剣道着くらいしか見た事が無い。

緑色の要素なんて一切無いのに、

何故かいつも彼の印象は緑色だった。

そして、彼と目が合う時はいつも、

薔薇のような深い真紅の赤い色をしていた。

この色のギャップも不思議だった。

そして1年後には、

目が合うだけで、まるで強く抱き締められているような感じがした。

彼の様子が、少し大人になっていたからなのだろうか…?

私の人生の中で、このような強い印象の感覚は、

彼に出会う前にも後にも1度も無かった。

この時、私はまだただの子供で、

当時は特にこの感覚についてあまり真剣に考えてなかったし気にしないようにしていた。

私はずっと、本物の恋愛は大人になってからのもので、大人であればもっと深い本物の真実の愛とかを経験できるのだろうとか思っていた。

でも、大人になって、自分の今までの体験を振り返ると、

あの時の、

彼から感じた、

無限に底の見えないような深くて止め処なく強い、なんともいえない真紅の愛の感覚は、

他の誰からも感じられる事はなかった。

言葉や態度、身体などでどんな経験をしても、

私の中の私が本当に心の底から無限に幸せで満たされるような深い紅い愛を感じたのは、

今までの自分の人生の中であの頃の彼との体験しかなかった。(単に恋愛経験が少ないからなのかも泣)

また当時、子供の自分でも不自然というか奇妙に感じる事がけっこうあった。

例えば、廊下と教室の境界辺りなどで彼とぶつかる事が何度もあった。

まるでマンガやドラマのようなフィクションみたいに思うようなことが本当にリアルに起こっていて、

不思議なことにぶつかる相手がよりによっていつも彼で、恥ずかしかった。

ぶつかって数秒後いつも彼は絶叫していた。

普段人にぶつかるなんてほぼ無いし、彼もそんな注意散漫なタイプの人でも無かったので明らかに変だった。

ある時、まさか彼がわざと?とも考えたけど、

ぶつかった時けっこう痛いし、絶叫されるしやはりわざわざそんな事しないだろうという結論に至った。

私は当時これに関して、まるで、目に見えない天使達か何かが私達をイタズラに衝突させて無理やりくっつけようとでも企まれてるのだろうかとかそんな妄想まで思ったくらいだった。(中二病真っ只中の時(ーー;))

中3の3学期の頃、それまでの終止符かのように、一度、教室で別の男子とぶつかってしまう事があった。

その時、初めて彼以外の人にぶつかってしまった事に逆にビックリだった。

その頃、彼もまた、廊下で私以外の女子(私の友達だった)とぶつかっている所を私は遠くから偶々見てしまった。(しかも彼はその私の友達を多分嫌ってたみたいでぶつかった後散々hateしているところも聞いてしまった)

まあ、それだけのことなんだけど…。

その頃私はまだシンクロニシティーという言葉も知らなかったけど、こういう奇妙な偶然を感じる事がけっこうあった。

また、ここまでいろいろ書けてしまうくらい、彼と同じクラスだった時の記憶だけが今でも鮮明に残ってしまっている汗。

彼と席が偶然近かったり、話している内容が聴こえてきたりする事が多かったから記憶に焼き付いてしまっているのだろうか?

席が偶然近い時が多かったのも思えば不自然な気がする。

毎月席替えがある中で、彼と前後とか隣とか斜めとか近くの席になる事がとにかくすごく多かった。

良く考えたら2年間でほとんどが近くの席になってたような気がする。

こんな風に思い出したり文章に書いたりまでしてしまう事は、未練や執着が深すぎるのかと自分でも思うし、

そういう自分が嫌で、

誰にも言えないし一度も誰にも話せなかった。


当時学校に入学した途端、私は精神的にも180°変わってしまったのと同時に、

体調的にも突然謎の不調が続いた。

それまで経験したことの無い酷い貧血や吐き気に見舞われて、授業中にまでも急遽保健室に行く事になるという事が、1週間のうち平均3回くらい起きていて、

4月中は早退ばかりしていた。

また、5月にも学校での予防接種か何かの検査に引っかかり、校内で私だけ何故か結核という病気だと診断され(家族まで検査され周囲誰も感染してなくてどこから感染したのか全く謎)、水泳の授業などもドクターストップがかかって見学参加しかできなかったり、まるで非常に病弱な人みたいな状態だった。(運動系の部活も禁止と言われたが、剣道着を買ってもらってすぐでとにかく着たくて内緒でやっていた汗)

奇妙なのは、別に症状は無かったのに、1年間薬を飲まさせられ、続けているとなんか徐々に咳が出るようになっていた。

中学に入った瞬間、妙な校則も沢山あったりと私はそれまで以上に非常に学校というものの監獄感を感じたのは確かで、

今思うとそういうものから無意識的にストレスを感じて体調に出ていたのかもしれない。

私は当時も、集団の中ではほぼ空気みたいなとにかく存在感の無い地味な人間だった。

あの頃、彼がそんな私に気付いてくれたのは、

入学早々こういう早退など少々目立つ事態があったおかげなのかもしれない。

また当時趣味的な面でも非常に充実していた。

魂を揺さぶり、刻みつけられ、大いに影響を受けた作品などとにかく沢山あった。

恋愛以外でも「運命」と感じる人生で重要な出会いが多かったのだ。


感覚や記憶は濃厚に残ってるけど、物理的に彼とは、

目が合ったり、数回短い会話をしたりぶつかったり間接的にいろいろアピールされた?くらいの接点しかなかった。

そんな人でも、私は今でもマジで彼が運命の人なのではないか?と感じている。

これはもう、救いようがないほどとうとう自分は本気で病んでいるのだろうか…?


スピッツを好きになったきっかけ


(※スピッツについては曲も歌詞も大ファンの方が多いですし、もちろん歌詞はどれもすごく奥深いのでいろんな方々が個人個人想い入れや解釈、また深い考察をされていたりすると思います。以下はあくまでも私個人の勝手な感想、エピソードになります事をご了承お願い致します。)

9月のある日、作業中にある動画を聴いていたら、気付いた事があった。

今から書く内容とは全然関係ないとある動画を観ていた時、偶々その動画のコメント欄をチラッと見たら、

スピッツロビンソンの歌詞が書かれていた。

そしてすぐ、ロビンソンの曲の事で頭がいっぱいになった。

また、その歌詞を改めて思い出した途端、

ヤバい、またツインソングだ!と思った。(ホント個人的勝手な感想です(;´д`))
(※ツインソングとは、私が個人的勝手にツインレイ的な意味を感じた曲の事)




ロビンソン / スピッツ

誰も触れない二人だけの国
君の手を離さぬように
大きな力で空に浮かべたら
ルララ宇宙の風に乗る



サビのこの辺、

まさにツインレイの世界、これって統合した2人の事なんじゃ…?と思ってしまいました。

昔聴いた時は、曲が好きで、特別歌詞に注目してなかったのもあるし、ただ単に恋愛の歌だろうなくらいしか思ってなかった。

また、すごく個人的に、自分がスピッツの世界に入った、好きになった扉のような曲でもありました。(超王道すぎてこの曲からハマった人は多くおられるかもしれないですね)

そしてこの曲をマジマジと聴いた時期がまた丁度、彼(運命の人)と離れた春休み中の時だった。

私がロビンソンを初めてちゃんと聴いたのはベストアルバムからだった。

受験真っ只中の頃に、シングルベストみたいなアルバムがリリースするCMが流れているのを偶々目にして、

なんとなくそのCMが学校の中の教室とかの映像だったような感じで(うろ覚え汗)

何故かその短い映像が当時の自分の心境を表しているようでシンクロを感じたのを覚えている。

大嫌いな勉強に真正面から向き合わないといけない受験、長期間に及ぶストレスと緊張がピークに達していて感覚はもう随分前からマトモじゃなく、多分マヒってて、

同時に、学校に行けば、日に日に彼と居られる時間が減っていくのが分かる。

彼の様子も以前と違いどこか硬く、暗く、なんだか冷たい印象と、彼の気持ちもあまり分からなくなっていた。

と思ったら、私に?告ろうとしてるっぽい会話が偶然耳に入ってきたりして、

そんなん聞いてしまうとめちゃめちゃ意識してしまいかなり戸惑ったり、怖かったり、ますますハラハラ落ちつかなくて、

でも本当は嬉しくて、

でも今は崖っぷちで(偏差値ギリギリで辞めとけと言われた高校を受けようとしてた汗)それどころじゃないって焦りとかでぐちゃぐちゃの中で

とうとう第一希望の公立校の合格発表の前日、卒業式を迎えて、

結局彼に告られることはなくて、私は勝手に失恋したのだ。(この後も実はエピソードは続くのですがさすがに省略します)

だからなのか?失恋と別に関係ないだろうけど、私は春休みの間にスピッツのベストアルバムを買って縋るようにずっと聴いていた。

それまで小学生の時なども世間ではおそらくたくさん曲が流れていてなんとなく耳にすることもあったと思う。

しかしそれまではそもそも真剣に音楽を聴く事もなかったので、スピッツ自体もあまり知らなかったのだ。

そんなわけで私は高校入学と同時にスピッツの世界にも目覚め始めました。

丁度その年にNEWアルバムもリリースされたりもして、過去にリリースされたオリジナルアルバムも買い集めて聴きあさったりと、私にとってスピッツ覚醒の年でした。

そもそも最初は曲に惹かれていて(普段音楽は曲重視派)、草野さんの声も歌い方も曲も当然好きだけど、

歌詞に関してスピッツは他の邦楽とは全然違う魅力を感じていました。

抽象的で、人によりいろんな解釈にも取れたりして想像で遊ばせてくれたり、いつもうまく的を得ていてベストなバランスでまとまっている。

あまり言葉で説明すると良さが半減しちゃうような感じなのであまり書かない方が良いですね(特に語彙力が乏しいので(;´д`))

今改めて感じるのは、草野さんの歌詞は、まるでタロットやオラクルカードなどからのメッセージのような感覚、印象みたいな風に思えたのです。

だからなのか、すごく言葉にならない感情や気分みたいなものもダイレクトに伝わるし共感できるところがあるような。

めちゃくちゃ繊細な歌詞もあるし。

ヒーリングを受けてるかのように思う時もある。(私の中で音楽は昔からヒーリングという存在なんだけど)

「夢」とか「幻」とか「不思議」とかいろいろ個人的に私の大好きワードだらけだったのも惹き込まれた所以ですが、

要はスピリチュアル的な歌詞だったからなのかと気付きました。

そんなわけで高校生になった私は草野さんの書く素晴らしい奥深い歌詞にものめり込み、

同時に受験前に何故か急に友達が貸してくれて知った銀色夏生さんの詩集本の影響もあり、
私は漫画以外に詩の世界にも魅了されたのでした。


『運命の人』を聴いていた頃、運命の人に出逢っていた


因みにスピッツのオリジナルアルバムにはそれぞれ印象や想いはあるのですが、

個人的に学生の時の恋愛感覚の雰囲気に特に一番ズキンと刺さるアルバムはフェイクファーです。


これも聴いたのがリリース後ずっと後からだったのですが、私の個人的勝手な感想を言うと、

数あるアルバムの中で一番女性的と言うか、淡いピンクの印象で、

まるで少女漫画のようなキュンとか切なさが激しすぎるアルバムだなと思うのです。(ジャケットのイメージに影響されてるだけか?)

いろんな部分で共感しかない曲がたくさんです。

このアルバムの中に「運命の人」という曲が収録されていますが、



当時この曲がリリースされ世間に流れていて偶然耳にしていた頃、

まさしく彼(運命の人)と出会っていた頃でした。

そういうことを今になってハッと思い出し、うあ〜サインだ!とかまた勝手に思ってしまうのです。

振り返ると、この頃こういうサインが他にももっといっぱいありました。

当時は全くこういうことなんて一切気付かなかったけど。

あの春休みに聴いたベストアルバムにしても、ジャケットやCDのデザインには何故か陰陽の太極図のマークが入っていたのを思い出しました。(当時、何故このマークのデザインなのか?とちょっと違和感がありました)

それがこちらのアルバムです↓


今の自分的には太極図はツインレイのマークって勝手に認識してしまってるので、今思うとあれもサインだったのかなと。(ただのこじつけじゃん汗)

(あ、その前に太極図というものを人生で始めて見たのが、大いに影響を受けた偉大な漫画封神演義で、封神演義に出会ったのも彼と出会ってすぐの頃だった(゚o゚;;)


今までは、不思議な感覚を感じた彼に対して、

彼が他の人とは違う何か特別な人だからとか、

もしかすると他の人に対してもああいう態度をとったり雰囲気を出す人なのかとか思っていた。

でも今は、

彼が特別で不思議な人だったのではなく、

私が、彼に特別なものを感じていて、特別な風に見ていたのだと分かった。

だからいろいろ不思議な感覚を感じたりしたのか。

あの時、私の中の私は自分にとっての本物の運命の人は彼だと解っていたようです。


好きな人の事は、無理に忘れないでいいと思った。

このまま勝手に自分の中でいつまでも好きでいて良い。

これは別に執着とかじゃないと思うというか、まあ執着と思われても良いけど。(言ってることが謎(ーー;))

今世で、もしこのまま好きな人と再会や統合ができなかったとしても、

好きな人を愛する気持ちはこのまま持ち続けて良いと思った。

それは、

ただ好きな人を想う時、自分の魂は喜んでいるから。

幸せな気持ちになるから。

彼が好きだから。

好きなものは無理に手放さなくて良い。

辛いとか苦しいなら手放す方が楽になっていいと思うけど、

そうじゃないなら、

好きなものはより大切にしていいと思う。

この世に生まれてから、

自分が好きと感じたものが自分にとっての真実だと思うから。

だから、自分の好きなものに対する真実の想いを、これからもただひたすらに綴ったり描いたりし続けていこうと改めて思った。

想いを文字や絵など形として視覚化、物質化する事で、

私は多分さらに自分の魂に刻みつけているらしい。

そうする事で、あっちの世界、宇宙へ、私がこの世で得られた大切な感情を持って帰れて、

そして宇宙にこの素晴らしい感情の事をシェアできる。

その時やっとここで生きた意味があると思えると思う。

もし今死ぬとしたら、

絶対彼を好きなままがいい。

忘れた状態で死ぬなんて嫌だ…。

もしかすると、私の前世の人の中に、

こういう想いで人生を終えていった人もいたのかな…?

だから私も今世でこういう気持ちになったりとかするのかな…?

とか思ってしまう時があって、自分の勝手な妄想に勝手に切なくなったりする。


結局、今世で経験する事全ては、私がより私になる為なんだね。

全て自分が引き起こして、勝手にいろいろ感じたり考えたりしてる。

こういう究極な事に行き着くとなんか全然面白くないんだけど…。




最後まで見てくださりどうもありがとうございました。

コメント

hookのマンガ活動に応援・ご支援頂けますと大変嬉しいです↓

PR

クリックしてくれたら励みになります↓

ブログランキング・にほんブログ村へ

クリックしてくれたら励みになります↓

PR

tsubutsubu300250_1

PR

220822_VAUNDY

人気の投稿